2016年3月14日月曜日

海軍工廠(火薬廠)跡の探訪に参加しました

 3月12日(土)、旧日本軍は湘南に何を残していったのか―平塚にあった相模海軍工廠跡を訪ねて歩く―に参加しました。当日は40名の市民が参加しました。現地での説明は、歴史を学ぶ市民の会・神奈川代表の北 宏一朗さんが丁寧に説明をしていただきました。

 平塚警察署や平塚市美術館が建っている辺りは、戦時中、相模海軍工廠があり、毒ガスを製造する工場でした。日本が戦争に負けると工廠の軍幹部は戦犯になることを恐れ、毒ガス兵器を地中に埋めてしまいました。
 このことは戦後秘密とされてきました。2003年4月~6月にかけて、平塚第二地方合同庁舎を建設する予定で土壌を掘削したところ、青酸や硫酸などの有毒物質が入ったガラス瓶が出て、工事作業員が負傷する事件が発生しました。発見された有毒物質のガラス瓶は445本に上りました。土壌からは環境基準の6倍ものヒ素も検出されました。
 同場所は、現在、西八幡臨時駐車場として活用されています。調査したのは駐車場の南半分のみで、北半分は調査もされず、厚さ5cmのコンクリートで覆ってしまったことが、当時の新聞にも報道されています。

 文化公園にD52が展示されているのは多くの方が知っています。しかし、なぜここに機関車がと思った方もいるのではないでしょうか。平塚駅から海軍工廠への物資運搬に引き込み線が引かれていた名残りですが、そのことを説明する掲示はありません。

 ほとんど市民には知らされていませんが、交通安全協会前には、「史跡 海軍技術研究所科学研究部 相模海軍工廠科学実験部跡」の石碑がひっそりと建っています。

 高砂香料(株)北側には戦時中からの壁が現存しています。かなりに長さで残っているのですが、老朽化もあり、そのうちに建替えられてしまうかもしれません。戦争遺跡として保存が必要です。

 八幡公園北側の地には、戦後23年間も、毒ガスの原料となるフェニール亜吡酸が入ったドラム缶500本もが野ざらしで放置されていました。直接体に触れると発疹を起こし、吸い込むと肺炎に似た症状で死に至ることもあります。



 

 

 

2016年3月7日月曜日

さよなら原発ひらつかウォーク

 3月5日(土)に、まちかど広場で「さよなら原発ひらつかウォーク」が開催され、200人近い市民が参加しました。
 

日本共産党平塚市議会議員団からは、渡辺敏光、松本敏子、髙山和義の3名の市議会議員が参加しました。また、大蔵元平塚市長と端文昭議員、江口友子議員も参加しました。壇上で紹介され、一言づつ挨拶しました。日本共産党参議院神奈川選挙区予定候補のあさか由香さんも駆けつけ挨拶されました。



 集会では、NPO法人ひらつかエネルギーカフェ代表の田中良治氏が、原発なしでエネルギーは間に合うというテーマで、数字を示して発言されました。また、福島原発かながわ訴訟原告団団長の村田弘氏、福島の親子とともに・平塚代表の小嶋倫子氏からは、福島原発被災者の現状が報告されました。
 

最後に、障がい者の演劇団体「湘南亀組」のパントマイムが演じられ、隊列を組んでオリンピックシティ近くの長姫児童公園までデモ行進しました。