2026年8月24日月曜日

8.16 「市民平和の夕べ」が多くの市民の参加で開催されました

 8月16日(日)、夕方の6時30分から、総合公園の大池付近を会場に開催されました。

  開始時間前から、灯ろう流しの順番を待つ市民の列が例年以上に長くなってしまい、受付開始を早めることになりました。多くの家族連れが参加され、特に、小さな子供さん連れの家族が例年よりも多いように感じました。「灯ろう」に平和への願いを書いて、大池に「灯ろう」を流していただきました。

 今年は、当日ボランティアの方が多く、スムーズに取り組めました。今年も私はI LOVE PEACE事業運営委員として参加しています。議員になる前から参加しているので、すでに15年以上関わっています。

 今年は、灯ろう流しをされる来場者数も、市民団体が取り組む署名も約150筆あり、高市内閣の『戦争する国づくり』に向けた軍事費拡大や非核三原則見直し発言への危機感からか、例年より多くなりました。


  市長と、最初に並ばれた市民代表、合唱をする平塚中等学校の生徒代表(2人)が、最初に「灯ろう」を大池に浮かべました。


七夕まつりで使用した竹を再利用した「竹飾り」と大池の水面に浮かぶ「灯ろう」がきれいです。

8.15 終戦の日に核兵器廃絶と恒久平和を訴えて市内を駆け巡りました

 8月15日(土)、終戦の日に、市内を宣伝カーで駆け巡り、核兵器廃絶と恒久平和を訴えました。所々では、立ち止まっての訴えも行いました。訴えたのは、私と松本敏子議員団長、藤井ひろのり くらし・福祉相談室長の3人で、交代しながら訴えました。

  「共産党に頑張ってもらわなければ」などの励ましの言葉や、立ち止まって聞いてくれる方もいて、励まされました。

 夕方からは、平塚駅北口での市民スタンディングにも参加しました。


           市民スタンディングにて

2026年8月14日金曜日

8月9日 長崎原爆に日に「平和の鐘」を撞きました

  8月9日、長崎原爆の日に、地域の「新日本婦人の会」が企画した、「平和の鐘」の取組に参参加し、二度と核兵器を使うような戦争が起きないこと、一日も早く日本政府が「核兵器禁止条約」に参加・批准することを願い、戦争被災者への哀悼の思いを込めて、徳延神社で「平和の鐘」を撞きました。



教育民生常任委員会の視察に行ってきました

  85()6()の日程で福島県二本松市と宮城県白石市の行政視察を行いました。

 5日の福島県二本松市では、「二本松市小中一貫教育」について、6日の宮城県白石市では、「英語特区の推進と英語教育の充実」についてです。

 いずれの市も、急激な人口減少が大きな問題となっており、それに伴い小中学校の児童生が今後急速に減少が進むと想定される中での教育の在り方について模索しながら検証を続けている真剣な実態が見られました。特に、白石市での教育長さんからの熱い思いを込めたお話には感動しました。内容は、後日議員団ニュースで報告します。

二本松市にて


白石市にて





2026年7月29日水曜日

今年も平塚空襲の日の市民キャンペーン行いました

 716日に、「平塚市I LOVE PEAS事業運営委員会」が、ららぽーと平塚店内のコンコースを利用して市民キャンペーンを行いました。私も毎年参加して、来場された市民のみなさんに、説明しチラシとポケットティッシュをお渡ししました。市民の中には、15分ほども説明をお聞きいただき、展示物も丁寧に見られる方もいました。

 また、8月16日(日)、夕方18時半からには、総合公園大池周辺で「市民平和の夕べ」が開催され、平和の灯ろう流しが行われます。私は今年も運営委員として参加します。市民のみなさんの来場をお待ちしています。

 




2026年7月19日日曜日

旭のたまり場の草刈りをしました

  旭のたまり場としてお借りしているYさん宅の草刈りを、地域のみなさんとしました。

 集まったのは、私を入れて総勢8人、朝9時から、途中30分ほどに休憩を入れて、2時間ほどかかりました。汗びっしょりになりましたが、家周りは何とか終わりました。




2026年7月15日水曜日

「第四の被曝」を考える講演のつどいに270人が参加

  7月11日(土)に、平塚市中央公民館で、「第四の被曝」を考える集いが開催されました。

 講演は、ジャーナリストの金平茂樹氏が「日本人と原子力/忘却の果てにー広島・長崎・ビキニ・、そして第四の被曝の末にー」をテーマに話されました。

 広島・長崎に続き、1954年ビキニ環礁での水爆実験で、多くの日本漁船が被爆し、第五福竜丸の久保山愛吉さんが原爆症で亡くなり、日本の原水爆禁止運動の原点となりました。日本国内には、原水爆廃絶の大きなうねりが拡がり、1960年の日米安保条約改定には、反対の声と運動が多くく広がっていきました。そのような状況の中で、1958年に、海上自衛艦の「拓洋」「さつま」がアメリカの水爆実験で被災する事件が起きたのです。この事実が公になれば、60年の安保改定はできなくなると考えた日米政府は、この「不都合な事実」を被害は軽微であるとして完全に抹殺しました。亡くなった自衛官 永野博吉さんの家族にも『口外しないよう』に要求したのでした。2024年9月NHKスペシャルで放映されて、初めて公になりました。また、永野さんのご家族が平塚に住んでいたことも、私たちにとっては驚きでした。

 つどいには、広島・長崎で被爆された被災者の会の方、第五福竜丸乗組員 大石又七さんのご遺族、福島原発事故訴訟団、など全国から駆け付けていただいた方々からの貴重なお話が聞けました。

 この事実をもっと広げ、世界から原水爆が廃絶できるように運動を広げ続けること、高市政権の下で軍備増強に進もうとしていることにストップをかけ、日本政府が核兵器禁止条約に参加・批准するようにさせることが、今、大切であることを改めて感じました。