3月12日(土)、旧日本軍は湘南に何を残していったのか―平塚にあった相模海軍工廠跡を訪ねて歩く―に参加しました。当日は40名の市民が参加しました。現地での説明は、歴史を学ぶ市民の会・神奈川代表の北 宏一朗さんが丁寧に説明をしていただきました。
平塚警察署や平塚市美術館が建っている辺りは、戦時中、相模海軍工廠があり、毒ガスを製造する工場でした。日本が戦争に負けると工廠の軍幹部は戦犯になることを恐れ、毒ガス兵器を地中に埋めてしまいました。
このことは戦後秘密とされてきました。2003年4月~6月にかけて、平塚第二地方合同庁舎を建設する予定で土壌を掘削したところ、青酸や硫酸などの有毒物質が入ったガラス瓶が出て、工事作業員が負傷する事件が発生しました。発見された有毒物質のガラス瓶は445本に上りました。土壌からは環境基準の6倍ものヒ素も検出されました。
同場所は、現在、西八幡臨時駐車場として活用されています。調査したのは駐車場の南半分のみで、北半分は調査もされず、厚さ5cmのコンクリートで覆ってしまったことが、当時の新聞にも報道されています。
文化公園にD52が展示されているのは多くの方が知っています。しかし、なぜここに機関車がと思った方もいるのではないでしょうか。平塚駅から海軍工廠への物資運搬に引き込み線が引かれていた名残りですが、そのことを説明する掲示はありません。
ほとんど市民には知らされていませんが、交通安全協会前には、「史跡 海軍技術研究所科学研究部 相模海軍工廠科学実験部跡」の石碑がひっそりと建っています。
高砂香料(株)北側には戦時中からの壁が現存しています。かなりに長さで残っているのですが、老朽化もあり、そのうちに建替えられてしまうかもしれません。戦争遺跡として保存が必要です。
八幡公園北側の地には、戦後23年間も、毒ガスの原料となるフェニール亜吡酸が入ったドラム缶500本もが野ざらしで放置されていました。直接体に触れると発疹を起こし、吸い込むと肺炎に似た症状で死に至ることもあります。