平塚空襲の日市民キャンペーン
7月16日(土)の午前中には、平塚駅頭で平塚空襲についてのチラシを配布しお知らせ活動を行いました。
戦前の平塚市には海軍火薬廠など、戦争遂行に不可欠な軍 需工場が多く存在していました。これらの軍需工場でつくられた爆弾や化学兵器が中国を中心に多くの方々を殺傷していった事実も忘れてはいけません。アメリカ軍はこれらを破壊すべく空襲の主要目標都市として平塚市がリストアップされていました。1945年7月16日夜に、焼夷弾447,716本が投下され当時の市域10,419戸中約8,000戸が焼失し、死者は343人(調査により異なっています)という被害を受けました。一夜に投下された焼夷弾の数としては、八王子空襲に次ぎ国内2番目の多さと言われ、海岸から現在の市役所近辺までは一面の焼け野原となりました。
しかし、この空襲に関する遺跡はほとんど消滅し、覚えている方も少なくなってきました。この空襲を伝えていこうと毎年市民キャンペーンを行い、私も毎年参加しています。市民平和の夕べ
折鶴でつくったモニュメント |
今年は、崇善中・大洋中の生徒さんが中学生ボランティアとしてお手伝いしてもらいました。
婦人団体の核兵器禁止の署名にも多くの方が |
被爆あおぎり |